『エンピツ戦記 誰も知らなかったスタジオジブリ』読了。

ジブリが世に送り出した数々の名作アニメーション映画は、どれだけ私たちを育て励ましてきてくれたことか。作品のメッセージは滋養となって、深く心にしみわたり、血肉となっている、ほんとうに「ジブリ映画とともに生きてきた」って言っても過言ではない世代のひとりです。

このジブリの制作現場で、「動画チェック」を手がけた舘野仁美さんが、その貴重な体験を綴った本「エンピツ戦記〜誰も知らなかったスタジオジブリ」が発売されました。写真 2015-11-25 17 15 54

西荻窪駅北口を出て左にのびる通りを歩くこと3分。西京信用金庫のビル4階に、舘野さんがジブリ退社後に立ち上げたカフェ「ササユリカフェ」があります。
ここから見る西荻の空はとても綺麗です。
贅沢な気持ちになれるお店のしつらいやメニューや丁寧な接客には、ひととき、世の憂さつらさを忘れて夢を見てほしい、疲れを癒やして、美味しいもので力をつけて勇気を持って暮らしていってほしいという、舘野さんの願いがこもっているようです。

「エンピツ戦記」を読むと、ジブリという現場の厳しさがとても伝わるのです。しかし、たくさんの人の心を動かす作品を作る過程では、それは必要なことで、舘野さんは作り手たちのぶつかり合いを調整し、ひとつのものにまとめていく重要なポジションで戦ってきたのだということを知りました。泣きながら、あきらめず、投げ出さず。
ぶつかること自体や、理不尽なことや、批判をおそれず、信じることをまっすぐに実現していきなさいって、舘野さんに背中を押されたような気がしました。こんな風に私はたたかってきたよ、つらいこともあったけど、素晴らしい人たちと仕事をして、よいものを生み出して、誇りを持っている、幸せだよ、と。これからもがんばるから、一緒にがんばろうね、と。

優しくて、強いメッセージ、受け取りました。

「エンピツ戦記」は、西荻案内所においてありますので、ふらりと立ち寄ってめくってみて下さい。ご購入はぜひ西荻窪の本屋さんで。

下の写真は数日前のササユリカフェさんツイートより借用。

sasayuri

小平市議会議員団ご来所

7月に小平でこだいらって〜気付かなかったすむまちの魅力 発見〜」というタイトルの講演会をさせていただいたことがきっかけとなって、小平市役所の方から、西荻案内所への小平市議会議員団の視察依頼がきました(その時の講演内容はここここに書いてます)。

小平市は現在、観光まちづくりの取り組みを本格化させようとしているそうです。とはいえいまさらベタな観光地を目指すわけではないのでしょうから、杉並区での取り組みをその参照項としてチョイスしたようです。11月某日、杉並区の産業振興センター(「なみじゃない、杉並」などをやってる部所です)に行ったあと、民間ベースの活動の視察として「西荻案内所」に議員団が来訪という流れ。

どどーんと11人の議員さんたち。あいにく私のおしゃべりが過ぎて、議員さんたちにちゃんとお話ができたような気がしないので、ちゃんと参考になったかどうか……。

すむまちを見直す、というのが西荻案内所の活動のベースです。昨今は2020年の東京オリンピックを見据えて「観光」が行政のキーワードのひとつになっていて、そういう業界も浮き足立っているようですが、様々な施策でにぎわいが仮に生まれたとしても、ぶっちゃけ2025年くらいのことを念頭におかないと、五輪後には草も生えない「荒地」がひろがるのは、火を見るよりも明らか。荒っぽい「再開発」で、高度な消費システムを内包する金太郎飴式のカタカナ4文字シャレオツファッションビルでも建てようものなら、西荻のいいところはたいてい駆逐されてしまいます。

案内所の活動も「観光」をキーワードにしている部分が大きいですが、それはもちろん従来型の観光ではなく、すむひとが現在のまちを楽しんで、その人たちが外から友だちを呼びたくなればそれで十分と考えてます(ここのあたりのことは日本デザイン機構の会報「Voice of Design」に鳥越けい子さんが書いてくださってます。ちょっと脱線しますが、この小論には「西荻観光手帖」と銘打ちながら「西荻は観光地ではありません」と矛盾した注釈をわざわざせねばならなかった理由を明快に書いてくださっていて、自分たちが「そういうことだったのか〜」と納得しました。その会報は案内所に置いてますので興味のある方はお声がけください)。

小平も可能性と魅力がいっぱいの場所ですから、いろんなひとが手を取り合って、ゆるやかにまちを楽しめるしくみができるといいですね。
そうそう、小平名物の巨大丸ポストについて、面白い話を議員さんから聞きました。地元の業者さんに依頼して特注でつくったもので、そもそも材料がないから、ポストの頭の丸いところは大きな中華鍋を使っているんだそうです。こういうエピソードって魅力ありますよね〜。

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【報告】映画『聖者たちの食卓』上映会開催しました

もうひと月前になりますが、映画『聖者たちの食卓』の上映会を西荻マイロード特設会場で行いました。そもそもこの日誌は、『聖者たちの食卓』の感想記事をHPのどこかに書きたいなあと思って始めたものですから、その映画を西荻で上映できてとてもうれしいです。

『聖者たちの食卓』はベルギー人の監督が撮影したインドのドキュメンタリー作品。シク教寺院『黄金寺院』の無料食堂「ランガル」の一日をたどります。この食堂では毎日、十万食の食事が無料で提供され、しかもその伝統は約600年も続いています。食材や燃料は寄付で賄われ、そこで働く人たちもすべてボランティア。……いや、ボランティアという言葉は正確でないかもしれません。ここではつくる人がイコール食べる人でもあり、それぞれの人が自身の役割を全うしながら、共同して大量のカレーをつくりあげ、それをみんなで食べるのです。映像は、600年かけて成熟した「ランガル」のシステム自体を、まるでひとつの生命体であるかのようにとらえ、そこにいる人たちはそれぞれおしゃべりなどもしながら、ごくごく自然な形でそのシステムを支えています。この映画にセリフはありません。ひたすらに食器がぶつかり合い、人々のおしゃべりと足音の心地よいノイズで満たされています。

そもそもこの映画を上映したいと思ったのにはいくつかの契機がありました。ひとつは西荻夕市で「カレー」を取り上げるにあたり、なにかポイントとなるものがあるといいなあ、と思っていたこと。それから、かねてから西荻に映画館があるといいなあ、と思っていたこと。もう一つやはり、この映画自体の魅力が強かったことです。

私ども、西荻案内所の活動をするにあたり、奇跡のような瞬間に何度か立ち会いました。これは本映画の感想記事(こちら)にも書きましたが、何かを始めるとき、近隣の方々が少しずつ力を貸してくださったのです。さまざまな人がランガルのシステムを支えている光景は、規模は違えど、私たちが西荻で少なからず体験してきたことにどこか重なっています。

今回の上映でも多くの方に支えていただきました。プロジェクターやパワードスピーカー、会場の椅子などを貸してくださった皆様、屋台販売コーナーのお手伝いの皆様、カレー関連商品出品の皆様に、心より感謝いたします。インターバル時間のアンビエントノイズライブもまったりとよかったです。おかげで特設会場の雰囲気もとてもよく、作品との相性もぴったりの空間となりました。

残念ながら見逃してしまった、あるいは時間の都合が合わなかったという方、『聖者たちの食卓』は「カレーキャラバン」という企画で全国各地で引き続き上映していますので、作品ホームページをチェックしてみてください。きっと他の会場もいい雰囲気なんだろうな。それでも都合が悪ければ、自分で上映会を企画しちゃうという裏技もありますぜ。

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展示『野鳥の父、中西悟堂をめぐる人々』(@杉並区立郷土博物館分館)

10月31日から杉並区立郷土博物館分館で展示「野鳥の父、中西悟堂をめぐる人々」が始まりました。中西悟堂といえば、詩人でありながら、あの有名な「日本野鳥の会」を作った人物。そもそも「野鳥」という言葉を一般名詞にしたのが中西悟堂です。それ以前は「鳥」とは「飼う」か「食べる」かのものであり、そこに「野の鳥は野に」と、新たな概念を定着させた功績はもっと評価をされてもいいでしょう。

昭和9年に民俗学者の柳田國男や詩人の北原白秋、言語学者の金田一京助など、そうそうたる顔ぶれを引き連れて富士山東麓の須走で日本初の「探鳥会」を行いました。その頃、住んでいたのは現在の善福寺2丁目あたり。もともと世田谷の砧に住んでいた悟堂さん、天徳温泉(現在の天徳湯)がたいそう気に入り、わざわざ世田谷から通ってきていたそうです。やがて、風呂あがりに散歩した善福寺池の近くに居を構えることになりました。

実は今回の展示、フライヤー・ポスター・図録は西荻案内所がデザインを担当しました。フライヤー等で使われている鳥の絵はチャンキー松本氏の切り絵。デザインは奥秋です。西荻ゆかりの人物についての展示に、このような形でたずさわることができてとても嬉しいです。

図録の作成についてはデザインだけでなく、資料の撮影も行いました。肉筆の貴重な資料、ぜひ実物を見ていただきたいです。中西悟堂さんの豆粒のような字が並んだ原稿の迫力、萩原朔太郎が書いた文字の独特なフォルムなども見どころですよ。

その他、当時の写真や、悟堂が実際に使った野鳥観察の道具も展示しています。愛用のテントの小窓から悟堂さんの目だけが見えている写真、ちょっとあやしげでおもしろいです。

わたしどもも貴重な資料を間近に、悟堂に関してのさまざまな興味深い事柄を知ることができました。悟堂さん、てっきり「鳥好きのやさしいおじさん」くらいの認識だったのですが、その実は「早すぎたニューエイジ」とでもいうべき側面をもちあわせていらっしゃるようです。

悟堂は早くに親をなくし、叔父の悟玄が育ての親となります。悟玄は体が弱かった悟堂を、山寺で鍛えることにします。これは図録にも書いてあるのですが、その時の修行のエピソードが『愛鳥自伝』という本に残っています。

そしてじっと坐ってますと、いろんな鳥が膝や肩にとまる。なんていう鳥だか、まだわかるはずもないし、覚えているはずもないが、いろいろ来てとまるんですね。

(『愛鳥自伝・上』平凡社より)

坐行をしてたら鳥が近づいてきたって言うんですよ。ほんまかいな。そのほか、ヨシゴイと散歩してる写真(展示あり)もあり、どうもただの鳥好きにしては、あまりに奇蹟的すぎますよね。体から鳥が安心するフェロモンでも出てたんでしょうか。

そんなことを思ってたら、展示資料の中に奇妙なくだりがあるのに気付きました。東京女子大学の英文学科で教鞭をとっていた詩人仲間の竹友藻風からの手紙(昭和10年)なのですが、そこに「貴兄のような透視力はありませんけれども」との言葉が読み取れます。

へ、透視力?? どうも中西さん、透視力があることを自認されていたようなのです。やはりただものではなさそう。福来博士の念写実験もこの時代ですから、そういう時代の空気感もあったのでしょうね。これってなんとなく、今の西荻というか中央線文化にもつながる部分が感じられてとっても興味深いのですが、くわしくは今後の研究を待ちたいところです。

というわけで、「野鳥の父、中西悟堂をめぐる人々」は、12月13日まで、荻窪・天沼にある杉並区立郷土博物館分館で開催されています。入場無料ですのでぜひ。

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