飴屋法水さんの『ブルーシート』を観てきました

西荻案内所を始める前から、ふだんあんまり芝居を観ない人や、芝居はときどき見るけど選択肢が膨大すぎて何を観たらいいかさっぱりわからないという人のために、私がチョイスしたお芝居を、「西荻演劇鑑賞会」と称して観に行ってます。まあ鑑賞会と言ってもおおげさなものではなく、まとめてチケット取って観劇後にごはんをたべるだけなんですけどね。

前々回に見た『解体されゆくアントニン・レーモンド建築〜旧体育館の話』(東京女子大がモチーフになっている)のように、作品自体が西荻に関係してるとなおよいんだけど、そんな作品はそう多くもないのです。前回は宮本常一の評伝劇・てがみ座の『地を渡る舟』(これについても書きたいんだけど、なかなかまとまらないんです)、今回観に行ったのは飴屋法水さんの『ブルーシート』でした。池袋から2つ目、有楽町線の千川にある学校の校庭が会場です。冬のすっきりとした青空に、整然と並んだ学校の椅子。校庭こそ狭いけれど、2013年1月にいわきで見たものと同じ風景でした。

この『ブルーシート』は、2013年1月にいわき総合高校の校庭で上演されたものの再演です。いわき総合高校は日本でも珍しい演劇専門科がある高校で、著名な演出家を招いての実習を行っていて、その成果発表がこの作品でした。同校に入学を控えた彼らを襲った2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故。その前後のできごとやその時の気分が、彼らの言葉で淡々と語られていきます。
そのころ私は「シアターアーツ」という専門的な演劇評論の雑誌の、デザイン・レイアウト・編集等々雑用をやっていて、その流れで毎号の表紙に掲載する劇場の写真を撮影していました(このおかげで2014年の7月に座・高円寺の地下ギャラリーにて「くるみちゃんの劇場」と題した写真展を開催しました)。2013年3月発行の54号の表紙がこの、『ブルーシート』上演直後のいわき総合高校校庭だったのです。もともとはいわき市内の某劇場の撮影を予定していたのですが、『ブルーシート』会場の校庭に整然と並んだ椅子を見て、なにか近寄りがたい崇高さと、これから起こるなにかの予感を感じ、「どこが劇場なのかは少なくともハコが決めるのではない」ということをびびびと感じて一転、高校の校庭が表紙になったのでした。

シアターアーツの表紙になった写真。まんなかにいるのはくるみちゃん

表紙写真の撮影は上演後だったのですが、開演前に何枚か、テスト的に撮影をしていたのです。もちろんこの整然と並んだ椅子が放つなにかの予感をひしひしと感じ、なんとか写真におさめておこうと思っていたのも事実です。そのときの写真は、後にこの作品が岸田國士戯曲賞を取ったあと、白水社の単行本の表紙カバーの写真となったのです。さまざまな偶然もあったとはいえ、このような作品の片隅にいることができてうれしいです。

白水社単行本の表紙より
撮影=奥秋圭

そして今回2年ぶりの上演。出演者はあの日の高校生たち。今は上京したり就職したりとそれぞれの道を歩んでいます。彼らが再び高校生の制服を着て演じたものは、当然にしてあの日と同じにはなりませんでした。そこにはそれぞれの成長があり、環境の変化があり、亡くなった人がいて、生まれる人もいた。わずか2年の間に起こったその変化に驚き、それでも初演の日と同じみずみずしさが舞台上に、いや校庭に広がっていました。
若くして「語り部」を背負う彼らの姿がこの『ブルーシート』という作品に刻印されています。今回の再演で思ったのは、この作品はこの子たちのとても大切なものであると同時に、きっと大変な「重荷」でもあるだろうなあ、ということでした。
おそらくはこの後、この作品をこのメンバーで上演するということはないのかもしれません。岸田國士戯曲賞選考時に出た「これは戯曲ではなく上演ドキュメントではないか」という異論は、この作品をだれかが別の形で上演することでいつか解消されるのかもしれません。でもやっぱり、20年後、30年後の「彼ら」の姿も少し見てみたい。彼らが再び、同じ言葉を放った時、私たちがそれをどのように受け止めるのか。

そんなことをもやもやと考えながら、終演後の校庭に残された、あの日よりきれいに積み上がった椅子の瓦礫をながめていたのでした。

東京での再演

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