展示『野鳥の父、中西悟堂をめぐる人々』(@杉並区立郷土博物館分館)

10月31日から杉並区立郷土博物館分館で展示「野鳥の父、中西悟堂をめぐる人々」が始まりました。中西悟堂といえば、詩人でありながら、あの有名な「日本野鳥の会」を作った人物。そもそも「野鳥」という言葉を一般名詞にしたのが中西悟堂です。それ以前は「鳥」とは「飼う」か「食べる」かのものであり、そこに「野の鳥は野に」と、新たな概念を定着させた功績はもっと評価をされてもいいでしょう。

昭和9年に民俗学者の柳田國男や詩人の北原白秋、言語学者の金田一京助など、そうそうたる顔ぶれを引き連れて富士山東麓の須走で日本初の「探鳥会」を行いました。その頃、住んでいたのは現在の善福寺2丁目あたり。もともと世田谷の砧に住んでいた悟堂さん、天徳温泉(現在の天徳湯)がたいそう気に入り、わざわざ世田谷から通ってきていたそうです。やがて、風呂あがりに散歩した善福寺池の近くに居を構えることになりました。

実は今回の展示、フライヤー・ポスター・図録は西荻案内所がデザインを担当しました。フライヤー等で使われている鳥の絵はチャンキー松本氏の切り絵。デザインは奥秋です。西荻ゆかりの人物についての展示に、このような形でたずさわることができてとても嬉しいです。

図録の作成についてはデザインだけでなく、資料の撮影も行いました。肉筆の貴重な資料、ぜひ実物を見ていただきたいです。中西悟堂さんの豆粒のような字が並んだ原稿の迫力、萩原朔太郎が書いた文字の独特なフォルムなども見どころですよ。

その他、当時の写真や、悟堂が実際に使った野鳥観察の道具も展示しています。愛用のテントの小窓から悟堂さんの目だけが見えている写真、ちょっとあやしげでおもしろいです。

わたしどもも貴重な資料を間近に、悟堂に関してのさまざまな興味深い事柄を知ることができました。悟堂さん、てっきり「鳥好きのやさしいおじさん」くらいの認識だったのですが、その実は「早すぎたニューエイジ」とでもいうべき側面をもちあわせていらっしゃるようです。

悟堂は早くに親をなくし、叔父の悟玄が育ての親となります。悟玄は体が弱かった悟堂を、山寺で鍛えることにします。これは図録にも書いてあるのですが、その時の修行のエピソードが『愛鳥自伝』という本に残っています。

そしてじっと坐ってますと、いろんな鳥が膝や肩にとまる。なんていう鳥だか、まだわかるはずもないし、覚えているはずもないが、いろいろ来てとまるんですね。

(『愛鳥自伝・上』平凡社より)

坐行をしてたら鳥が近づいてきたって言うんですよ。ほんまかいな。そのほか、ヨシゴイと散歩してる写真(展示あり)もあり、どうもただの鳥好きにしては、あまりに奇蹟的すぎますよね。体から鳥が安心するフェロモンでも出てたんでしょうか。

そんなことを思ってたら、展示資料の中に奇妙なくだりがあるのに気付きました。東京女子大学の英文学科で教鞭をとっていた詩人仲間の竹友藻風からの手紙(昭和10年)なのですが、そこに「貴兄のような透視力はありませんけれども」との言葉が読み取れます。

へ、透視力?? どうも中西さん、透視力があることを自認されていたようなのです。やはりただものではなさそう。福来博士の念写実験もこの時代ですから、そういう時代の空気感もあったのでしょうね。これってなんとなく、今の西荻というか中央線文化にもつながる部分が感じられてとっても興味深いのですが、くわしくは今後の研究を待ちたいところです。

というわけで、「野鳥の父、中西悟堂をめぐる人々」は、12月13日まで、荻窪・天沼にある杉並区立郷土博物館分館で開催されています。入場無料ですのでぜひ。

godot

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