第9回 西荻丼【西荻のメディアと場】

西荻のメディアと場
第9回 西荻丼
六代目編集長 赤川広幸さん

フリーペーパー「西荻丼」は、2004年創刊と息が長い。
初代の北尾トロさんから数えて六代目となる編集長コンビのうちの
「喫茶凸」店主・赤川さんに話を聞く。

赤川さんたちが六代目の編集長になるんですね。
フリーライターの北尾トロさんが創刊号を立ち上げたのが、2004年春。創刊号からのバックナンバーは、代々の編集長に受け継がれていて、それで読みました。現在私たちで六代目になります。私は西荻南にある喫茶凸(きっさでこ)の店長、二人体制のもう一人の編集長はグラフィックデザイナーです。その他スタッフもそれぞれ本業をこなしつつ執筆や編集作業をしています。

なぜ編集長になったのですか。
西荻に越してきた時から拝見していた「西荻丼」が、次代の編集長候補がおらず、もしかしたら廃刊になるかもしれないということを聞いたのがきっかけでした。ふたつ返事で引き受けて数日後には六代目編集長になってました。2016年の秋号からこの体制で発刊しています。

新たに編集長になって、変えたことはありますか。
これまで西荻丼は、A3四つ折りの単色印刷というフォーマットで長年やっていたのですが、これを機にリニューアルしました。そのフォーマットがちょっと時代遅れの印象もあったので。
それでフルカラー化、綴じ冊子化、タイトルロゴなどの変更をしました。これまで西荻丼は、発行されたものを読むだけで、一切その制作に携わってなかったという、作り手としての思い入れのなさが、いい意味で働いたと思っています。

西荻丼に関わる前と関わってからで、街の見方はどのように変わりましたか。
西荻丼に関わる人や、西荻案内所の人や、商店会の偉い人とかって、「この街の中枢」っていうイメージがあったんです。自分たちからは遠いところで、なにかこの街のことを決めている人たち。ところが西荻丼に関わってみると、そうではないことが見えてきました。地面にあいた「西荻」という穴に、勇気をもって入っていくと、見えてきたのはアリの巣のような地下空間。あちこちに部屋があって、それぞれでなにかが進行している、そんな感じです。中心というのは実は存在しなくて、たくさんのもんやりした集まりがあり、時々連携しあったりしなかったり。さらに地下にいけば、他の人にも出会える、そんなイメージです。
あと、西荻丼で知り合いが増えました。お店を始めた時も増えましたけど、それより多いです。それから、よそのお店に行った時に、そこに西荻丼があるかどうかはチェックしますね(笑)。

どんなふうにつくってますか。
3ヶ月に一度、出来た西荻丼をみんなで配ります。配った後でそのまま次号の編集会議。それで次にどんなことをやるかと、誰が担当するかを決めて、各自取材・執筆。途中のやり取りはSNSを使いますし、喫茶凸も開いてます。それで校正・印刷。それでまた出来たものを配って会議。この繰り返しです。

最近の西荻で気になることはありますか。
次号の特集が、「ホラー話」または「ホラ話」なんですよ。なので会う人ごとに、ちょっと怖い話があったら聞いてます。ときどき、これは書けないなと思うレベルの怖い話に出会うこともありますよ。近々、西荻在住の霊感少女に会う予定です。

西荻はどんなところだと思いますか。
懐古趣味の若者に出会うこともあれば、西荻の流行にやたら敏感なお年寄りに出会うこともある。年齢や性別などにとらわれない多様な価値観があって、その受け皿としてはやたらと懐の深い街だと個人的には思っています。他人の価値観を否定しないというか。一方で、自分の価値観も肯定できる。
場所としての不便さは時々あります。ほしい実用品が手に入らなかったり。でもそれが、だめだと思ったことはないです。

今後の展望について教えてください。
10年以上続いてるフリーペーパーなのに、西荻丼のことを知らない、手に取った事がない、という方にも結構出会います。作るからには読んで欲しいという思いはあるので、皆さんの興味を引くような冊子作りをしていきたいです。TwitterやFacebookなど各種SNSも活用していかねば〜!というのが最近の課題です。

西荻をもっと知りたい・楽しみたい有志により、年4回・6000部発行、西荻エリアの商店などに配布される。メンバーは30人を超えているが実働スタッフは毎号7〜8人。創刊=2004年春。現在51号。現編集長(六代目)=赤川広幸、奥田雅子 主な拠点=喫茶凸
https://twitter.com/nishiogi_don/

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