西荻ドブエンナーレ

城山下支流

城山下支流(仮)は、勝手につけた呼称です。
通称地名「城山」を流れていた、善福寺川の支流であると考えているからです。

明治中頃までの城山は、杉や松の密生する雑木林。
篠笹が群生していて、人が分け入ることもできないほどであったといわれます。
この鬱蒼とした雑木林も、時代の流れとともに削られ整えられ、昭和30年代には失われます。
木々に囲まれた、昼間でも暗い、こわい場所。
そしてその傍らを、名もなき小川が流れていました。
それが、城山下支流(仮)です。

今も城山下支流(仮)は、途中から辿ることができます。
はじまりは驚くべき唐突さで、資料もほとんどなく、謎ばかり。
城山下支流(仮)は、城山の七つ井戸と関係があるのではないか、と考えています。

七つ井戸、すなわち、七つもの井戸が城山の南に北~南という並びで存在した、といわれます。
そして善福寺川の堰から取水した水が、城山の底を通っていた、しかも七つ井戸の底を通っていたといいます。
ずいぶん深いところを流れる水路です。
その深さ故、七つ井戸は水路の掃除用マンホールではないかと推測されています。
ですが、暗い森の中にあったため地元の人たちが恐れていて、説明的な記述が殆ど残っていないのもまた、七つ井戸の特徴です。

詳細がわからないままですが、江戸時代このあたりに水車を設置したという話もあります。
水車を回すための水路が、この城山下支流(仮)であると考えることもできます。
昭和2年の区画整理時に、上流部分が埋められ消失したのかもしれません。

城山下支流(仮)の畔にお住いの方は、昭和40年代以前まで、ここがドブ川だったことをご存知でした。
水路の水は、いったいどこから来ていたのか。
誰にも突き止められていません。
城山下支流(仮)、江戸から現在に至るまで、いつの時代でも謎に満ちたドブだといえます。