2月11日に「西荻地図ナイト」を開催しました。きっかけは郷土史研究の野田栄一さんが持ってきてくださった地図。戦後すぐの柳小路の住宅地図や、今はなくなってしまった北側線路沿いの道の地図、それから昭和8年製の杉並區職業別地圖など、資料としてきわめて貴重なものがありました。そもそもその地図を肴に、おいしくお酒をのみましょうという、ゆるーーーい企画だったのですが、気の迷いで公募してみたところ、参加希望者が思いのほか多く、先日の「龜樂ライブ」の収容人数を考えると、西荻案内所での開催は不可能と判断、急遽当日、近所のタスカフェさんでの開催となりました。
まずは野田さんによる杉並区歴史10分解説からスタート。古い西荻地図をより深く味わうための基礎知識を吸収したあと、今度は個々の専門家による発表へ。
「西荻文学散歩の会」の奥園隆さんがこの日のためにまとめてきたのは、小説家の木山捷平が飲み歩いた店の地図。西荻在住だった木山は「酔いざめ日記」で、当時どこで飲み歩いたかを記録しています。その記録を奥園さんが丹念に地図におとしこみました。「虚無への供物」で有名な中井英夫の「黒鳥館戦後日記」も紹介されました。奥園さんが持参したのは、付箋が大量に貼られた両日記。まさか自分の日記がこれほど誰かに読み込まれるとは、木山も中井も予想していなかったのではないでしょうか。
その次は、「西荻暗渠探検」の案内人、吉村生さんの発表へ。この日の吉村さんは暗渠話は封印。図書館で見つけたという幻の1972年西荻再開発の計画図面を持ってきてくださいました。これが大変な資料。今でこそ個性ある西荻の街並みの特徴となっている、「ごちゃごちゃと入り組んだ感じ」が、計画書の文ではまっさきに全否定(!)され、夢のような(実際夢だったわけですが)西荻再開発プランが展開されます。南北を緑道が貫通し、ペデストリアンデッキ、その周囲をショッピングビルやオフィスビルが囲むという壮大なプラン。当時きっとデベロッパーが、数撃ちゃ当たる式であちこちの自治体に似たような提案をしていたのでしょうね。実際、いまや既視感ばかりの個性なき再開発プランでした。でも南口のボーリング場計画はさすがに「時代」だよなあ。もし実現してたら確実に今ごろ「廃墟寸前」でしょうね。
バブル期以前の計画記録として貴重で、驚きに満ちた資料でした。
ちょっと話がずれますが、後日、この会に出席されたとっても物持ちのいい近隣商店会長のKさんが、96年(バブル崩壊後)の読売新聞の記事を案内所に持ってきてくださいました。「虫食いの駅前が残った」という見出しで、西荻窪駅北口に34階建ての高層ビルとショッピングモールを建設するという計画のもと、業者による用地買収がされ、やがて計画が頓挫して約350億の融資が焦げ付き、空き地と駐車場ばかりが残ったという記事内容。上記のものとは別の再開発計画です。(もちろん今はその駐車場もなくなってマンションになっています)
再開発の話は、浮かんでは消えをくりかえしており、きっと今後も似たようなケースが出てくるのでしょう。でも、いまあるこの雑多な雰囲気こそがかけがえのない財産なのだと思います。その時々の流行に安易に乗ってのオシャレタウンへの再開発なんて、あっというまに古びてしまいます。当時「百年の計」と呼ばれた内田秀五郎村長らの区画整理事業からそろそろ100年が経とうとしている今、西荻に限らずですが、それぞれの土地の「風土」を地域の人がしっかりとらえることがまず大切なのだと思います。
この日の会場では吉村さんが発掘してきた「幻の再開発計画」を、「高度経済成長期のトンデモな計画」として笑う雰囲気があり、こういう思いを共有できる人たちが増えれば、柳小路の世界遺産登録もそう遠くはないと感じました(笑)。
吉村さんの発表の後は、それぞれの地図をながめながらの雑談会へ。昔の住宅地図を見ながら、当時を知る人からの証言を聞いたり、その頃の生活に思いを馳せたり、地図好き・西荻好きにはたまらない貴重な時間となりました。その後は「実地見学」と称して柳小路のハンサム食堂へ。あいかわらずハンサムのタイスキはコスパがすごいですね! お肉も美味でした。
今後もこの「地図ナイト」開催したいと思いますが、次はさらにまったりモードでやりたいなあと画策しております。それまでにあらたな地図も発掘できるかも。
現在も西荻は「地図の町」。案内所発行の「西荻まち歩きマップ」はじめ、茶散歩、夕市など、各種イベントには必ずといっていいほど地図が入ります。これだけいろんな地図があるまちも珍しいんじゃないかと思います。ちなみに西荻案内所では現在、「子どもとおさんぽMAP」というのを計画しています。子どもといけるお店、子どもにやさしいお店の情報をお寄せ下さいね。