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『西荻観光手帖』の「西荻歴史観光」のページをもとに、 西荻の歴史 を紹介しています。
イラスト=さくらいようへい
写真=奥秋圭
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序文
世界の四大文明を見ればわかるように、人は川のあるところで生活を営み始めました。西荻でも、きれいな湧水が流れていた善福寺川の沿岸付近を中心に、縄文時代の土器が出土しています。中でも井草八幡宮の文華殿に保管されている「顔面把手付釣手形土器」は、国の重要文化財に指定されている貴重な土器です。
また西荻は「伝説の地」でもあります。善福寺池の誕生由来伝説には源頼朝が登場。ただし縄文土器の出土からもわかるように、頼朝が生まれるよりはるか昔から善福寺池が存在していたことは間違いなく、これはあくまで伝説でしょう。
室町時代までは練馬の石神井を本拠とする豊島氏の支配地域でした。江戸城を築城した太田道灌が石神井城に迫った時、西荻北の城山と呼ばれる一帯(西荻図書館の西側)も古戦場だったという説があります。荻窪八幡神社には、太田道灌が戦勝を祈って植えたという槇の木が今も残っています。
江戸時代には、徳川家とゆかりの深い駿河の今川家の所領となりました。今川家のお墓は今も今川(この地名も今川家に由来します)の観泉寺にあります。
また松庵の豪農が、鮮やかな紫色の布を染め上げることに成功し、江戸文化を彩った「江戸紫」をつくったといわれています。
近代になると、養蚕、お茶の栽培、大根の栽培が盛んになりました。大根はたくあん漬にして戦地に送られたそうです。当時の生活道具は井草八幡宮の中にある民俗資料館に保存されています。
そして1922(大正11)年、西荻窪駅が開業。当時の井荻村村長・内田秀五郎が誘致しました。内田は大規模な区画整理も実行し、ここにようやく、現在の西荻の姿があらわれました。
このように、西荻には壮大な「歴史ロマン」がひそんでいるのです。これから詳細にたどっていきましょう。
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