さる2月27日、かねてより実施したかった「西荻縄文ツアー」が、ついについに!とり行われました。
『ひとり古墳部』で有名なイラストレーターのスソアキコさんと、郷土史家の野田栄一さんという強力ナビゲーターによるスペシャルツアーです。
「西荻と縄文」というテーマは、案内所を始めたすぐくらいから、「これはやらなきゃ!」と思っていたものでした。
地蔵坂にある某お蕎麦屋さんとおしゃべりしていた時、「そういえば子どものころ、友達んちの庭で縄文土器拾って遊んだんだよ〜」という思い出話を聞いて、なんじゃそりゃ!と思ったのがそもそものきっかけでした。そんなにごろごろしてるものなのか? 縄文土器!
善福寺池〜善福寺川流域から、縄文時代の遺物が出土することは知られています。いちばん有名どころでは、青梅街道沿いにあった青果市場(現・サミット)建設のときに出土した「顔面把手付釣手形土器」。これは井草八幡宮の文華殿(境内にある宝物殿で、基本的に年に1度しか開きません)に保管されています。状態のよさと形の珍しさから国指定重要文化財となっており、西荻エリア随一の至宝です。縄文中期ですから約5000年前のものらしいです。5000年前といえば、エジプト古王国=クフ王のピラミッドの時代じゃないですか! だからといって日本人がすごい!とか、日本人は世界最古の民族だ!偉い!とか言いたいわけじゃないですよ、もちろん。でもこの西荻には(もちろん当時は誰も「西荻」なんて呼んでなかったですが)、文字はなかったとはいえ、クフ王の時代にクラフトマンシップのある「陶器作家さん」がすでに住んでいた、ということは間違いなさそうです。
つまり大昔からここは、住みやすい場所だったんですね。そして面白いことに、稲作に適さない土地だったからなのか、そのあとに続く弥生時代の遺跡はなぜか出てこないんです。縄文人が弥生人に滅ぼされたのか、はたまた縄文生活を営んでいた人が弥生式生活に移行したのか、真実はどういう経過を辿ったのかはわかりません。ともかくわかっていることは後世の弥生式の「のっぺり」した土器と違って、縄文の土器は多様な形や文様でデコレーションされ、奇妙奇天烈装飾過多だったこと。近年の研究では、その狩猟採集生活が、私たちがかつて思っていたような細々としたものではなく、はるかに豊かなものであったらしいということもわかってきています。
そんな「縄文」に学ぶことは、あの2011年を越えた今こそ、とっても重要になってきているのではないでしょうか。自分が今いる土地/風土を知ることに、「今」を生き抜くヒントがひそんでいるような気がしてなりません。
思えば西荻案内所の活動も、川跡をたどる「暗渠探検」しかり、巨樹をめぐる「樹木ツアー」しかり、結局実現はしなかったけど「野草を食べる会」なんてのも「縄文」との関連が深い企画であるような気がします。
というわけで2月27日に実施した西荻縄文ツアーです!(ここからが本題)
西荻窪駅に集合した一行は、スソアキコさん特製の西荻縄文ツアーのしおりを手に、まずは丸山遺跡をめざします。まあ、遺跡と言っても住宅街なんですけどね。「えっここなの!?」というようなところが遺跡です。知らずに遺跡上に住んでいる人もたくさんいると思いますよ。みなさんのお宅の庭を掘ったら、縄文式土器や旧石器の鏃(やじり)が出てくるかもしれませんよー……っていうかたぶんでてきます!
さてツアーは、野田さんやスソさんの解説を聞きながら善福寺川を遡り、どんぐり公園や善福寺北原遺跡(これまた住宅街)を経て、井草八幡宮の文華殿へ。この日は年に1度のご開帳日ではないのですが、人数が揃えば事前の予約で見学をすることができるのです。あの国重文・顔面把手付釣手形土器をはじめとした近辺出土の縄文式土器、土師器、須恵器のほか、井草八幡宮の宝物の数々。これまでの解説で気分を盛り上げつつ、ついに本物とご対面! 感動の瞬間です。
何度見てもこの顔面把手付釣手形土器、不思議な形ですね。シンメトリーのようでそうではないし(縄文土器は基本、シンメトリーではないそうです)、整理整頓されえないというか、デザインの枠におさまらないというか……うまい言葉が見つかりませんが、ともかくパワーがみなぎっています(文華殿は撮影禁止なので、スソさんのイラスト絵はがきを借用)。
そうそう、この日偶然ですが、井草八幡宮で結婚式をやっていました。ちょうど結婚式のサプライズで井草囃子の保存会の皆さんがお祝いの舞(?)をしているところに遭遇。ハッピーをわけてもらえてラッキーでした。
このあと、近くの某所に移動。そこにはなんと、杉並区の博物館から許可を得てお借りしてきた貴重な土器が運びこまれていたのです!
そのなかに「井草式」土器の欠片もありました。縄文式土器というのはひとくくりではなくって、その形状や年代などでさまざまな分類(出土場所=標式遺跡の名前がつく)があるのです。都区内の地名がついた縄文土器はこの井草式だけです。前述の「顔面把手付釣手形土器」は勝坂式。ちなみに勝坂は相模原の地名。勝坂式はその「盛りかげん」が豪快で、古代人の遊び心がよくわかるのが特徴です。八ヶ岳山麓あたりまで似た土器が出土するといいますから、縄文人の行動範囲の広さもわかりますね。
というわけで、盛りだくさんの西荻縄文ツアーは無事終了。次に縄文ツアーをやる機会があったら、オプションで「発掘体験」を入れたいんですけど……それはやっぱりだめみたいですね(笑)。
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