先史時代の「西荻」 西荻歴史観光01

先史時代の「西荻」 西荻歴史観光01

先史時代の「西荻」 西荻歴史観光

 武蔵野はもともと、乾いた台地です。人々は多摩川から水を引いてこの地を潤し、開拓をしてきました。また、西荻窪がある海抜50メートル付近は、いくつかの湧水があることで知られています。井の頭公園の井の頭池、石神井公園の三宝寺池、そして善福寺池も、そういった湧水のひとつ。この3箇所は「武蔵野三大湧水池」といわれています。

 なぜこの地に湧水が多いのかには諸説ありますが、太古の温暖化で海が大きくなった時(縄文海進)に波に削られた海岸が、再び寒冷化して海の水が引いたあと崖地となり、そこから地下水が地上に出るようになった、という説を推します。

参考:「武蔵野三大湧水と50m崖線(やとじぃ平田 英二)/Webあまみず」

 この清らかな水を求めて人々が住みはじめたのがいつごろからなのでしょうか。先土器時代(10,000年以上前)の石器が井荻小北で出土したという記録もあります。井草川沿いからは、9000〜10000年前、縄文早期の「井草式土器」が出土し、都内唯一の「標本土器」となっています。

井草式土器
井草式土器

また、善福寺川沿いの高台からは、たくさんの縄文遺跡が発見されています。太古から住みやすい環境だったことがうかがわれます。人々は蛇行する川に添って住むことで、飲み水を確保していたのでしょう。西荻窪から出土する縄文土器は、縄文中期(約5000年前)のものが多く、中でも青果市場(現・サミット善福寺店)の工事中(1940年ごろ)に出土した「顔面把手付釣手形土器」は、ほぼ完全な状態でその姿をとどめます。近世に付近を開墾していた人々は、すでにこれらの土器や石器を「発見」していたのですが、その造形の異様さを気味悪がり、また農具を傷めるからと、粉々に砕いて道にばらまいてしまっていたという逸話も残っています。

顔面把手付釣手形土器

 青果市場(現・サミット)付近の建設工事中に出土した「勝坂式」に分類される縄文中期(約5000年前)の土器です。勝坂式は、粘土でできた紐をつけたり、人獣をモチーフにしたりするなど、大胆な装飾がほどこされ、製造技法的にも凝っているのが特徴です。内部に煤がついていることから、火を灯して使用する祭器だったのではないかと思われます。現在は井草八幡宮の文華殿に所蔵されており、秋の例大祭のときに一般公開されます。1961(昭和36)年に国の重要文化財に指定されました。

文華殿
文華殿

 井草八幡宮境内にある展示館「文華殿」は、神社に伝わる武具や奉納額、本地仏などの宝物のほか、近隣で発掘された石器や土器類を所蔵しています。秋の例大祭(9月30日と10月1日)の日のみしか一般公開されませんので、貴重な機会をお見逃しなく。別途団体見学も可能。井草八幡宮までお問い合わせください。

参考資料:杉並風土記(森泰樹)、杉並區史(杉並区)

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