佐渡は広いな(ピンクの象の紙はがしおまけ編 その1)

(ひとつ前の紙はがしの記事はこちら

佐渡のサイズ感

佐渡島のサイズがどのくらいか知ってますか。佐渡の面積は約850平方km。と言ったところでさっぱりわからないと思いますが、これ、東京23区(619平方km)よりも広いんですよ。

「島」っていう先入観があるから、荻窪から吉祥寺くらいのサイズ感かな、とかぼんやりイメージしてしまいますが、メイン港の両津港から、ピンクの象が保管されている南佐渡の旧川茂小学校までは、最短距離で32km、自動車で約1時間かかります。西荻窪からで言うと、北千住とか鶴見とか、そのくらいの距離感でしょうか。ちなみに佐渡島一周は約260km。これはなんと、東京から新潟までの直線距離とほぼ一緒です。「島」というイメージで佐渡に行くと、その広さに面くらいます。

これまで、佐渡に4回渡っていますが、行ってないところがたくさんあります。もうかれこれ25年も住んでいる東京にだって行ってないところがたくさんあるわけだから、東京23区より広い佐渡なら、そりゃ当然です。
そもそもがまだ、佐渡の北半分には一度も足を踏み入れてません。大佐渡山地を擁する北半分の大自然がすごい、という話をよく聞きます。縄文杉があるとか、景観がまるで日本っぽくないとか、もうスコットランドだとか、急流なので海に近いところにイワナがいるとか。

フェリーから見える大佐渡山地の質量。

北のみに限らず、エリアや標高によってもさまざまな表情がある佐渡は、あらゆるエッセンスが一つの島に凝縮していて「日本の縮図」とさえ言われています。

 

ひとすじなわではいかない佐渡

佐渡はジオパークに選定されています。本州からちょこっと離れた特殊な位置にあり、より大陸とのつながりがあるということや、もちろん金山・銀山もあり、地質好きにはたまらんと思います。温泉も多いです。佐渡の温泉は肌ざわりやわらかなタイプで湯上がりはつるっとすべっとする美肌の湯。最近は温泉PRのキャンペーンも始まり、ピンクの象も温泉PRのおけさガールズと記念撮影したのは記憶にあたらしいところ。

 

また、歴史好きにもたまりません。新潟方面に多い縄文の火焔土器も出土しています。世阿弥・日蓮・順徳院など多くの有名人たちが島流しで佐渡に来ました。その際にたくさんの文化がもたらされました。また、北前船による財の恵みもあり、宿根木のような歴史ある集落も残ります。民俗学者の宮本常一は、貴重な古民具などが流失しないよう民俗博物館の設立を提案しました。

小木の民俗博物館で再現された北前船

佐渡は芸能の島として知られています。しっかりした能舞台が数多く残っています。かつて世阿弥が流されてきたところから、ずっと残っているのでしょう。能はふだんのたしなみというような感じで今も稽古され受け継がれています。文弥人形などの人形芝居も多くあり、和太鼓グループ「鼓童」も佐渡を拠点に活動しています。映像は2017年12月の羽茂大市。文弥人形上演中に前を横切るピンクの象。


中央部の国中平野は穀倉地帯。がとれれば酒もできる。おけさ柿や洋梨のルレクチェも有名。海に囲まれていますから海産物は豊富。イカブリカニもたくさん。加茂湖という大きな汽水湖(海水淡水がまざる湖)があり、そこでは牡蠣の養殖が盛んに行われています。

佐渡の定番B級グルメと言えば、ブリカツ丼。

そうそう、トキも忘れちゃいけません。佐渡は野鳥の宝庫。渡りのルートにもなっていて、大陸にしかいない迷い鳥が稀に出現することもあります。トキはかつては日本中にいましたが、佐渡と能登半島にわずかに残り、やがて野生絶滅。捕獲され最後の数羽となった頃、なんと中国陜西省で再発見され、保護管理のもとに数を戻しました。自然環境への放鳥が始まって10年。今は佐渡のあちこちで、明らかにアオサギとは違うピンク色の優雅な鳥の姿を見かけるようになりました。

行く人それぞれに合ったアクティビティが見つかるのが佐渡の最大の魅力かもしれません。

2017年12月新穂潟上温泉付近にて

 

巨大遺跡を見る

今回はピンクの象の紙はがしのために前日に佐渡入り。未明に西荻を出発して9時台のフェリーに乗れば、12時に佐渡の玄関・両津に到着。そのあとまだ行ってないところを見て回れるじゃないかと、あれこれプランニングし、これまで訪れたことのない相川地区に行こう、ということになりました。

相川は佐渡金山の拠点。今は採掘は行われず、もっぱら佐渡随一の観光地として多くの人が訪れています。今回は時間の都合もあって金山まではいかなかったのですが、鉱山関連施設の産業遺産である北沢浮遊選鉱場跡と、大間港を見学。鉱石を分別する巨大な工場の遺構と、鉱石の搬出等に使われた港の遺構は、未来少年コナンのような、天空の城ラピュタのような、あるいは維新派の舞台のような、圧倒的な存在感でした。

大間港の遺構。鉱山から来たのか、きれいな石がたくさん落ちていた。
北沢浮遊選鉱場跡。なにかが終わった場所でありながら、舞台装置のように見えるからか、なにかが始まりそうな雰囲気がある。

これまで前を通り過ぎるだけだった佐渡博物館にもようやく行くことができ、「佐渡」が内包する膨大な質量に圧倒されました。

佐渡一の宮「度津神社」

南佐渡方面では、行きそびれていた場所へ。羽茂にある度津神社(わたつじんじゃ)です。何度も入っている温泉施設クアテルメ羽茂のすぐ近くにあるのですが、いつも夕方で、神社へは行けずじまいだったのです。こちらは、全国一の宮めぐりマニアの最難関と言われる佐渡一の宮なのです。

鳥居に堂々「一宮」の文字。

祭神は五十猛(イソタケル)命。スサノオの子どもで、船をつくった神様。航海や交通安全にご利益ありとのこと。『古事記』においての五十猛命は、新羅から種子を持ってきて植えたということが言い伝えられていることから、林業の神様でもあります。ここでいきなり新羅という具体的な地名が出てくることにドキッとしますが、それはさておき、度津神社のワタという音から感じるのは、海に関するイメージ。だからてっきり安曇氏系のワタツミ神が祭神と思っていたらそうではないのです。でも海を渡ってやってきたというところでは共通するところもあり、実は海人族の系譜なのかな、などと妄想します。

御朱印もいただきました。

度津神社の前に流れる羽茂川。そこには五十猛命が釣り岩と亀石と呼ばれる岩から、釣り糸をたれていたという伝説があります。だから何かの由来になったというわけでもなく、エピソードのみの奇妙な伝説でちょっとおもしろいです。なお、本殿の隣りには八幡神が祀られています。八幡の祭神である誉田別(ホムダワケ)命(応神天皇)も、神功皇后の三韓征伐の帰りに筑紫で生まれたという話がありますから、そういう意味ではやはり海を渡って来た神様といえましょう。

五十猛命の羽茂川伝説に関する説明書き。

五十猛命が植樹の神様だからでしょうか、境内には植樹が多いのですが、その中に西荻に別荘を持っていた有馬頼寧の植樹がありました。神社の隣は市立佐渡植物園。佐渡は対馬海流の影響もあり緯度のわりに温暖で温度差が少なく、植生が豊かなのです。

有馬頼寧伯爵植樹の木。思わぬところで親戚のおじさんに会ったような気分。

まだまだ行けてないとこリスト。

いやはや今回もやっぱり時間切れ。まだまだ行けてないところがあります。その一つはトキ関連施設佐渡トキ保護センターでトキの観察ができるとのことで、佐渡に行く時はいつも双眼鏡を忍ばせるのですが、まだ出番がありません。
温泉は佐渡市温泉活性化協議会のページによると、まだまだあるようですね。個人的に気になっているのは仙道温泉です。
それから、世界灯台100選に選ばれている「姫埼灯台」にも行ってみたい。日本最古の鉄製灯台です。
そしてなんといっても、いちばん行ってみたいのは佐渡の北半分です。今回行った相川が北半分のエリアに属するといえばそうなのですが、尖閣湾大野亀などの奇観を持つ外海府海岸は未踏。天然杉も金北山も棚田も見てないし。次に行くときの宿題にしておきます。(つづく。次は羽茂大崎編です)

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2 Thoughts to “佐渡は広いな(ピンクの象の紙はがしおまけ編 その1)”

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  2. […] 数も多くはないので、バスで行く人はあらかじめ、新潟交通佐渡のHPをチェックしておくといいですよ。 近くには佐渡一の宮「度津神社」や「佐渡植物園」もあります。レポートこちら。 […]