善福寺池周辺の縄文時代 〜 イベント参加記

9月30日に善福寺川沿いにあるカフェ・カワセミピプレットで、「善福寺池周辺の縄文時代  縄文人はどんなくらしを?」というトーク&散歩イベントに参加してきました。講師は武蔵野台地の谷戸地形にくわしい「やとじぃ」こと平田英二さん。やとじぃは善福寺川を里川にカエル会(善福蛙)のメンバーの一人でもあり、2016年の西荻ドブエンナーレの時には「善福寺川=ドブ!? 知ってるようで知らない川のこと」トークのパネリストとして、善福寺川の歴史を数万年単位で語っていただいたこともあります。そんなやとじぃだから当然にして、縄文時代も守備範囲のど真ん中。

善福寺池周辺の縄文時代

戦前に内田秀五郎らによる青果市場の建設工事の時に珍しい縄文土器が発掘されました。その名も「顔面把手付釣手形土器」。青果市場とは、今サミット/コジマがある場所です。縄文時代の土器がほとんど割れていない状態で見つかるのはとても珍しいのです。

その土器は今は、井草八幡宮境内の文華殿という建物に収蔵されているのですが、その文華殿はいつもは開いておらず、9月30日と10月1日の神社の例大祭の二日間のみ、開陳されます。文華殿には顔面把手付釣手形土器のほかにも、このあたりによく出土する縄文中期の勝坂式や加曽利E式に分類される、どちらかというと「盛り」が大きいタイプの縄文土器や、弥生式土器などが、井草八幡宮伝来のお宝(鎧兜や扁額等)とともに収蔵されています。

お話は顔面把手がなぜ善福寺川流域から発掘されたのか、というようなことから、どんぐりだけじゃない当時の食生活、黒曜石の流通ルートなどのお話へ。5000年も前のことを、土器の形や圧痕などから探っていくのです。石神井川流域と善福寺川流域では土器の雰囲気や黒曜石に違いがあるところから見えてくる流通ルートの考察など、名探偵の謎ときを目の前で聞くような、スリリングなお話の連続でした。

お話のあとはちょっとだけ休憩して井草八幡宮へ。カワセミピプレットではイベントメニューとして、「縄文」にちなんであさりのおにぎりと、発掘式の縄文クッキー。縄文のヴィーナス(尖石縄文考古館所蔵)を掘り当てました。

善福寺池周辺の縄文時代
善福寺池周辺の縄文時代

井草八幡宮に行くと、大太鼓がどーんどーんと打ち鳴らされていました。

拝殿向かって左にあるコンクリート造の建物が文華殿です。人がたくさん。その入り口真正面に「顔面把手付釣手形土器」があります。なんとも形容しがたい、そして記憶に留めることが難しい、複雑な形をしています。アシンメトリーなのも縄文土器の特徴の一つ。不思議な造形で、縄文人の創造力に驚きます。

善福寺池周辺の縄文時代

正面に顔があるんだけど、けっきょくなんの動物なのか、やっぱりわからないんです。猪か蛇かスッポンか、この日もいろいろな意見が出ました。中に火を灯したらどうなるのか、とか。穴は紐を通して吊るしたのか、とか。中に煤がついていて、祭祀で火を灯したものらしいのです。(写真が出せないので、ラバーズフェスの時に描いていただいたスソアキコさん作成のはがき画像を参考にします)

毎年この日は土器に「会い」に行くようにしていますが、見るたび表情がちがうというか、新しいことを発見します。また、こうやってみんなで見に行って、意見や感想を言いあうのも楽しいんですよね。また来年。

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