チャサンポー/西荻茶散歩2018の2日間、登録文化財建築の一欅庵で開催された『ピンクの象が佐渡に来た』展にご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
このあと、この展示の内容を軸にした本『西荻にいたピンクの象(仮)』を自費出版で制作することにしました。刊行は11月下旬を予定しています。税込み1,620円として、ただいま「超先行予約」を受付中です。
ネット予約は只今準備中。予約したい!という方は「茶舗あすか」(夢飯となりのお茶屋さん)に予約用紙がおいてあるので、そちらでご予約をお願いします。
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本日より、映像『ピンクの象、佐渡へ行く』のYoutubeでの公開をスタートしました。
これは、昨年11月14日に、高架下の「続・西荻案内所」の一企画「ピンクの象、佐渡へ行くの日」にあわせて制作されたもので、ご存知、ハリボテのピンクの象が佐渡に寄贈されたときの数日間の記録映像をもとにした作品です。
監督は和久井幸一さん。和久井さんには「続・西荻案内所」で一日案内担当をしてもらいました。ふだんは音楽PVなどを手がけていて、環境の景色や音を積極的に映像に取り込みながら対象に肉薄していく、そういう映像作家さんです。続・西荻案内所のときは、和久井さんが撮影した今はなき「のみ亭」でのライブ映像を中心に上映しました。象の姿を映像に残したいというこちらの誘いを、気軽に引き受けてくださった和久井さん。「象」と「のみ亭」、西荻からなくなってしまった2つのものが、和久井さんの中でオーバーラップしていたのでしょうか。
多幸感あふれる音楽は西尾賢さん。西尾さんのグループ「ソボブキ」のアルバム「素朴でブキッチョな東京人の音楽」より、「ビシと」「ほやの夢」「アマドコロ摘んだ春」の3曲を使用しています。西尾賢さんは、西荻北のジャズハウス・アケタの店で月に1度くらいは必ず出演しているピアニスト。西荻案内所的には、「捏造伝統芸・龜樂(かめがく)」の四代目ということで紹介する機会のほうが多かったかもしれませんが、ミュージシャンとしても本当にすばらしいのは、この3曲からも伝わってきます。まるでこの映像のためにつくられたかのようですが、このアルバムは2006年発売。GWのアケタの店でのソボブキライブ、楽しかったなあ。6月は23日に池袋バレルハウス。
映像では、西荻窪駅前でのピンクの象お別れ会からトラックに載せられ佐渡に向かう様子と、区内保管場所で行われたスケッチ会の映像が並行していきます。
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2017年3月の第2回西荻ラバーズフェスの前日、まさかピンクの象(二代目)が桃井原っぱ公園にやってくるとは思いませんでした。
今だから言いますが、その半年以上前に当時の商店会長さんから「象を新しくするつもり」という話を聞いていました。その時に「この象に愛着がある人もいるし、交代のセレモニー的なものをちゃんとやったほうがいいですよ。できれば新しい象は、この象を3Dスキャンしてそのままの造型で新素材にしたらどうでしょう」などと話をしたのです。「二代目はフェス会場に持っていったらどうですか」なんてことも言ったかもしれません。でも、その後は連絡がなく、象交代のこともすっかり忘れていたところで、フェス会場にまさかの登場。聞けば翌々日に産廃業者が引き取りに来るという急展開。いつか捨てられるのはしかたがないとしても、30年間のいろいろな人の思いが、ハリボテの中につまっているであろうあの象を、軽々と捨てちゃっていいものだろうか。事前に告知をしていたならともかく、これではフェス会場に来れなかった人はもう見ることもできない。とはいえ、賃貸暮らしの私が引き取れるはずもなく。
その日のFacebookの個人アカウントに「誰か引き取り手がいれば……」と書きました。そしたら、たまたまそれを見てくださったNさんが、「少しの期間なら置ける」とおっしゃってくださった。これで産廃になるのをひとまず回避することができました。いずれは捨てることになるにせよ、後日に事前告知をした上で「お別れ会」をやるということで、商店会さんの承諾ももらい、Nさん邸庭の「仮象舎」に保管することになりました。
あの直後のTwitterにはいろんな意見を飛び交いました。いい大人たちが「時代の変化」とか大きな言葉を使って、たかがハリボテ1個を惜しむのは、遠目に見てたらなんじゃこりゃな状況なのでしょう。絶叫にも近い声、冷静な分析、モノとしてでなく日常風景の消失を惜しむ人もいれば、新しい物が認められるにはそれなりの時が必要だとを諭す人もいて、次第に沈静化していったように思います。
正直、これも今だから言うけど、あのタイミングで「西荻案内所はどうするんだ?」とTwitterで書かれたのはしんどかったです。知恵も出さず具体的な行動もせず言葉の刃だけが、お店の人やなぜか私たちにまで向かってきたのには気が滅入りました。こちとら何でも屋ではありません。
あの時たまたまFacebookにぼやいて、それをたまたまNさんが見てたから、結果として産廃にならなかったわけですが、こういう「ピンクの象のヒキの強さ」みたいなのがこの後も何度か出てきます(奇蹟が起きました!……とかは言いません。そういうふうにとらえるのは好きじゃないので)。
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さて、お別れ会をいつどのようにするか、ということで、あれこれと考えていました。まっさきに頭をよぎったのは、「BURNINGMAN」というアメリカのフェスのことです。砂漠のど真ん中で、でっかい人形を燃やすやつ。どうせ捨てるのだったら、西荻の人の手で「昇天」させるというのが、正しいお別れ会なのではと思いました。もし仮に準備ができていたら、西荻ラバーズフェスの桃井原っぱ公園で、あの象を燃やすこともありえたかもしれません。さすがに駅前で燃やすのは無理だけど。
フェスもすでに終わってしまったし、その年のハロー西荻でなにかやろうと動きましたがそれもNG。あらためてスケジュールをたて、西荻窪駅前でできることはないかと、お別れ会構想の公募を開始。小さい象を作り直してぶらさげるとか、ローラーで伸して地面に埋め込む(!)とか、いろいろなアイデアをもらいました。その中にピンクの表面をはがしてみんなが持ち帰れるようにするというのもありました。お守り的に持ち帰るのはいいかもしれない。なにより、ピンクの紙をはがしたら中はどうなっているのか、興味がありました。象がピンクでなくなるというのも、お別れとしてはいいかも。そういったいくつかのアイデアの中に、スケッチ大会がありました。
駅前で象をぐるりと囲んで、老若男女が絵を描く。じっくりと象に対峙できる時間をつくることで、みんなの記憶にとどめていきたい。でもその構想は、「駅前でやるには狭すぎる」となりNGに。また紙をはがすのも「ゴミが散らかる」「子どもに残酷なところを見せたくない」などと注文が入りました。10年前には商店会の人自らが紙をはがして、補修をしていたはずなのですが……。
本来、梅雨時期より前には象の去就を決めたいと動いていました。なにしろビニールハウスの骨組みとブルーシートで作った仮設の象舎は、風雨に耐えられるとも思えなかったのです。しかし予定が定まらず、ついに梅雨あけになりました。
8月の暑い日、西荻北のデニーズで当時の商店会長さんと話し合いの場が持たれました。会長さんは交代当時の状況を振り返りながら、「落ち着いてきたからもう蒸し返したくない」「執着してるのは大人だけ」「9割9分の人が今の象のほうがいいと言っている」と、交代劇から5ヶ月経って、お別れ会自体をやめたいとすら考えてはじめていました。でもこのまま産廃で本当にいいのだろうか。
私たちは、あらためてどこか寄贈できる場所はないかと探しはじめました。
9月の荻窪八幡神社例大祭前日(つまりピンクの象が山車として町内を巡る日の前日)に、駅前でお別れ会をする、ということは決定しました。あとはその内容です。スケッチもNG、紙はがしもNG。みんなのメッセージを書いた短冊で飾りつけようということになったのです。お別れ会の象の装飾は、gallery cadoccoの原田史子さんと雑貨食堂六貨の竹内由紀さんが担当してくださいました。ふるくぼまゆさんのサプライズ・イラストは、当日のポスターで使わせてもらいました。
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その準備をしながら、イラストレーターを中心とした西荻の有志が集ってのスケッチ大会を実施。この時の様子と描かれたスケッチは、ムービー本編でも使用されています。画材は、今はなきノア画材さんと、同所を引き継いで額縁のお店をスタートしたAtmosphereさんが提供、喫茶凸の赤川広幸さんがスケッチ大会の指揮をとってくれました。赤川さんは美術講師の経歴があるのです。
このスケッチ大会にあわせて、ピンクの象の3Dデータを作成しました(制作=バッカム株式会社@沖縄、企画=株式会社ポケット@西荻)。こちらのデータは今後、アプリ化の予定。これでいつでも会えるようになります。
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ピンクの象は、佐渡の「ハロー!ブックス」代表の田中さんが引き取ってくださることになりました。あとはトラックの手配。トラックをまともに借りるとけっこう高い。これは武蔵関の劇団・東京演劇アンサンブルさんが貸してくださることになりました。そのトラックで試してみたら、象の身長が高すぎて普通の2トントラックにはそのまま入らない。脚に傷みがあったので、写真のようにさかさまでナナメに入れることで解決しました。
Nさんの近所では、「あの象をいったいどうするのかしら……」と噂になっていたらしく、Nさんとそのご家族にも多大なるご迷惑をおかけしてしまいました。しかしこれでようやく、めどが付きました。
9月16日、翌日に台風が来るという西荻窪駅前で、ピンクの象のお別れ会は無事に行われました。沢山の人が集まり、写真を撮ったりメッセージを貼ったり。その様子はムービーをご覧ください。そして象は佐渡へ。
翌17日に予定していた3代目初のお練りは、大雨で中止になったと、佐渡に着いてから聞きました。
主のいなくなったNさん邸の象舎は、その日に台風で崩壊したそうです。(つづく)
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