遅野井川親水施設 開園【西荻案内所日誌180721】

遅野井川親水施設で遊ぶ子どもたち

遅野井川親水施設 オープン

 

善福寺公園のボート乗り場向かい、下池側の水路は、しばらくフェンスがあって入れない状態でしたが、このたび「遅野井川親水施設」としてオープンしました。改修工事は3月には完了。しばらく入れなかったのは、中の植物を育てるためでした。

そもそも、校内に善福寺川が流れている井荻小の児童が「善福寺川に入ってみたい!」と動き出したのがきっかけといいます。自分たちが住む街に流れる川、まして学校の中に流れている川に興味をもつのは当然のこと。善福寺川沿いの清掃活動などを通じての環境教育プログラムは、代々の井荻小児童に受け継がれていきました。年に1度くらいは児童は実際に善福寺川の柵を越え、3面張りコンクリートの善福寺川河道におりての生き物調査や清掃活動をやっています。

井荻小児童は、こういった活動からやがて、この水路に着目し、ここを「夢水路」として親水化するという区民提案を杉並区に提出するに至りました。それが実って親水施設の設置が決まり、管理団体として「遅野井川かっぱの会」が組織されました。行政や土木業者が完全に主導するのでなく、地域住民や長年環境保護に取り組んできた人たちの声を引き受けながら、人間だけでなく生物多様性を重視しているという点で、水遊びを主体としたほかの親水施設とは一線を画したこの「遅野井川」が誕生したのです。

 

「遅野井」の歴史など

 

遅野井というのは、このあたりの旧地名です。ご存知の方も多いと思いますが、善福寺池の湧水「遅乃井」に由来します。源頼朝が奥州征伐の帰りにこの地に立ち寄り休憩したが水がない。そこで矢筈を使って地面を掘ったところ、水が湧き出したが、その湧き出しがじわじわじわじわ、とっても遅かったので遅乃井と名付けられた、という伝説が残っていますが、北上川の水源「弓弭の泉」伝説にそっくりなのはここだけの話。

実は「善福寺川」と呼ばれるようになったのはそんなに古いことではありません。手元にある戦前の書物「新興の郊外 井荻町誌」には、「善福寺池流 一名遅の井川とも言ふ。」となっているのです。つまり昔は善福寺川ではなく、「遅の井川」と呼ばれることがたまにあるくらいの名もなき小河川でした。この水路の命名はもちろんここから来ています。かつての武蔵野の風景を取り戻していくための一歩が善福寺川の通称旧名「遅野井川」であることには、いろいろな方の思いがつまっています。

ちなみに、実際の善福寺川のスタートはここより下流の美濃山橋からです。そこから下流は一級河川「善福寺川」で、国の管理となっていますが、この「遅野井川親水施設」のところは法律上の「河川」ではなく、また善福寺池の一部でもなく、杉並区が管理している「水路」なのです。この水路に金網が張られるようになったのは実は、野鳥や植物、特にホタルの保護が目的だったとききました。人が踏み込むとホタルの餌となるカワニナが定着しないのだそうです。年に一度、ホタルを放虫している方がいて、そのころはホタル水路と呼ばれていましたが、水質の問題からかホタルの定着はかなわず、立ち入りを制限する金網が残された状態となっていました。動植物の保護という観点でいえば、金網のままでもよいのかもしれませんが、人が立ち入ることで環境(と人)を育むという方向にシフトしたのが今回の「親水施設」なのです。

親水化にあたっては、上流である上池の水が、人が入るのに適しない状態にある、というのが問題でした。善福寺池の水源となる湧水の遅乃井はすでに枯れ、現在、滝のような形に整備され流されているのはポンプで汲み上げられた深井戸水です。その深井戸水は、遅野井の滝と、渡戸橋の下の二箇所から放流されていて、もともとこの水路の水は池の水より清浄なのです。しかしいったん雨が降ると上池の水が越水し、水路が汚れてしまう。そこで改修工事では遅野井川左岸に上池からの水を抜くバイパス管を通して、なるべく上池の水が水路に入らないようにしているのだそうです。それで恒常的に人が立ち入ることができるようになりました。

 

遅野井川のこれから

開園式典では、井荻小児童と元児童の大学生たちが、水路への思いを語りました。「自分たちで行動することで、変えることができるということを学んだ」と言っていたのが印象的でした。ずっと井荻小児童をサポートし、この水路の開設にあたっても活動してきた「善福寺川を里川にカエル会(通称:善福蛙)」のメンバーのみなさんが、熱くこみ上げるものを抑えながらそれを見つめていました。

まだまだ植生や魚などは途上の状態にあります。これから人がこの場所を育てていきます。子どもたちにとっては、遊びの場所であると同時に学びの場所でもあります。これから、多くのことをこの水路が教えてくれるのでしょう。

参考資料

風の言葉(2015.2.22)
~「街の川が昔に戻る夢」 東京都杉並区/井荻小学校・善福寺川~

ニシオギ水ノオト
(2016年 西荻案内所企画・トロールの森2016参加「西荻ドブエンナーレ」より)
https://nishiogi.in/dobuennale/

実践政策学
第4巻 第1号 2018年 6月号
都市における「川離れ」解決に向けた「気づき」の形成について―東京・善福寺川における河川教育の実践―
中村 晋一郎

4 Thoughts to “遅野井川親水施設 開園【西荻案内所日誌180721】

  1. […] 始めたもので、その後代々井荻小児童に受け継がれ、その成果は今年オープンした「遅野井川親水施設」につながっていきます。公立の学校でありながら、長年に渡って善福寺川につい […]

  2. […] 3月、西荻ラバーズフェスが3回目にして最終回。今年のフェスも盛り上がりました。大規模イベントを手弁当で維持するのは本当に大変なこと。実行委員会で突っ走ってきたみなさん、おつかれさまでした(報告記事はこちら)。 善福寺公園下池側の水路が改修され、「遅野井川親水施設」として7月にオープン。井荻小児童の区民提案からこの施設ができた経緯等はこちらの記事に書きましたのでご参照下さい。 4月、東京女子大学が100周年でさまざまな行事がありました。といっても、開学は角筈(新宿)なので、この場所に来てからはまだ100年経っていません。なお、井荻村(当時)に移転してきたのは1924年のこと。西荻窪駅の開業が1922年なので、こちらも間もなくとなります。 […]

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