源頼朝の遅乃井伝説 西荻歴史観光02

源頼朝の遅乃井伝説 西荻歴史観光02

源頼朝の遅乃井伝説 西荻歴史観光02

 1189(文治5)年、源義経をかくまった奥州の藤原泰衡を、源頼朝の軍勢が征伐する際、この地に宿陣しました。頼朝は飲み水を確保するために、弁財天に祈りながら弓筈(弓の端)で地面を掘ったところ、七カ所目にしてようやく水が湧きだしました。しかしその水の出がとても遅かった、というのが、善福寺池の源流である「遅乃井」の由来であると言い伝えられています。その時に頼朝が「遅いのう」と言ったかどうかは、定かではありません。ちょっと別のバージョンでは、頼朝が戦勝祈願をして勝利した後にこの地が干魃となり、憐れんだ頼朝自らがやってきて弓筈で穴を掘り、水が湧いた、というのがあります(観泉寺「善福弁才天略縁起」)。
 「遅乃井」の地名由来にはほかにも、付近にかわうそがいたという説(獺の井)、恐ろしい猪がいたという説(恐猪)、「尾園」という人が住んでいたという説(尾園井)などがあります。
 
 偉人や聖人が泉を掘り当てるあるいは、棒を立てたら木が生えたというパターンの伝説は、全国各地にあります。「西荻歴史観光01」でも紹介したように、縄文時代にはすでに水が流れていたのはまちがいなく、さすがに頼朝が「遅乃井」掘り当てたというのは、史実としてはムリがありそうです。しかも「遅乃井」伝説にそっくりのものが、東北にあるのです。それは岩手県を流れる北上川上流に残る伝承です。ちょっと紹介しましょう。

岩手県の岩手町にある正覚院というお寺にある弓弭(ゆはず)の泉。
1057(天喜5年)、6月、源頼義、義家父子が安倍氏を討つため行軍(前九年の役)。その時、炎暑で兵馬とも疲弊してしまいました。義家は周囲が見渡せる山に登り、そこから天に矢を放つと、巨大な杉の根元に刺さりました。その杉の根元を弓弭で突くと、にわかに清水が湧き出てきて、軍勢は喉を潤し、それが北上川の源となりました、という伝説です。

参考:岩手町ホームページより
http://town.iwate.iwate.jp/town/accessmap/yuhazunoizumi/

頼義・義家というのは頼朝から見て約150年前、5代と4代前の先祖にあたり、頼朝にとってはスーパーヒーローのような存在です。その伝説をのちの人がどこかで聞き、頼朝に再編集して善福寺の「遅乃井」伝説をこしらえたのではないでしょうか。
とはいえ、頼朝がそもそも善福寺界隈を通らなかった、ということにはなりません。井草八幡宮の由来伝説では、頼朝が戦勝祈願をして、もともとこの地にあった「春日社」に八幡神を合祀してのちに「八幡宮」を奉斎するようになったとしています。春日神社は平安時代に日本の政治を動かした藤原家の先祖神。武家である頼朝にとっては、目の上のタンコブ的な存在であり、源氏が力をつけていくにあたって、自分の氏神にわざわざ変えさせたのかもしれません。

頼朝手植えの松

頼朝手植えの松
 源頼朝に関連するものとしてはほかに、井草八幡宮境内の「頼朝手植えの松」があります。この地で戦勝祈願をし、奥州藤原氏との戦いに勝利した頼朝が再びこの地に立ち寄った時、八幡の神様を合祀し、二本の松を植えました。その松は明治のはじめころと1973(昭和48)年にそれぞれ枯れてしまい、現在は二代目の松が植えられています。

善福寺公園 遅乃井の滝

遅乃井の滝

 源頼朝が掘り当てたという遅乃井は、善福寺公園・上の池にあります。高度経済成長が始まる昭和30年代、地下水の需要が増大したためか、湧水は枯れてしまいました。現在の遅乃井は、深井戸からのポンプ揚水によって維持され、その水は池を満たしています。滝の近くにある島には市杵島神社(古くは弁天様でしたが、廃仏毀釈により神社となりました)が祀られていて、毎年4月8日の祭礼のみ、橋がかかって島に渡ることができます。

市杵島神社例大祭

なお、2017年と19年、台風による大雨の影響で、遅乃井付近の地面から数日にわたって水が湧き出すという現象が見られました。太古の「遅乃井」の姿を彷彿とさせる風景でした。

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